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狩人の夜
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Ninth

日々観た映画についての記録と備忘録
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狂った舞踏会*日本1989


Cast:伊藤猛、隈井士門、鈴木裕、伊藤清美、ジュネ(オートモッド)
Director:佐藤寿保

Story
ボディビル雑誌の編集者をしている主人公はボディビルイベント会場で素晴らしい肉体を持つ男に惹かれ、恋人同士となる。だが甘い時間は長く続かず、その男はサディスティックな欲望を主人公にぶつけ、精神的に追い詰められた主人公はその男の右腕を切り落としてしまう。
1年後、出所した主人公の元にホルマリン漬けにされた男の右腕が届く。
主人公は男と過ごしたサディスティックな性行為を夢想し、男を探し始める。
そんな折、仮面舞踏会の招待状が男の元に届くが、それは主人公への罠だった。


↑の話、書いてるだけでもなんだか凄いな…ってストーリー…
ピンク映画なのか薔薇族映画なのかどういうくくりなのかよくわかんないんですけど…パソリーニの「ソドムの市」へのオマージュ映画だそうで、かなり恥かし気もなくオマられててちょっと照れる。(あのバター塗りシーンはベルトリッチの「ラストタンゴインパリ」??唐突に殺風景な部屋からマーガリンが出て来て驚く。そして片腕っていうとテネシーウィリアムの短編、「片腕」を思い出す)
見る前はグロイ映像(この監督はかなりグロい映画ばかり撮ってるみたいなんで)だったらどうしようと思ったけど、まぁ耐えられる範囲で安心。
暴力的で異常な性行為とは真逆に、ロマンチックすぎる程のキスシーンは綺麗に撮られててテーマの異常性とは裏腹にやっぱりこーゆーシーンがきちんとあるといいなと思った。色々突っ込み所多い映画だけど…(赤と水色のビキニとかストッキングとか…わざとなの???)
しかし見どころはやっぱりラストシーンの埠頭でダンスシーンへと行く流れ。
音楽も印象的(ジメジメとしたくらーいインスト)だしとてもロマンティックに撮られてる。SとかMとかあんま理解できないんだけど(でもそーゆーのに嵌って行く人たちには興味がある)ラストシーンはとても綺麗だった。

| 映画*K | 15:42 | comments(0) | - |
アイム・ノット・ゼア*2007アメリカ


監督:トッド・ヘインズ
出演:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー、シャルロット・ゲンズブール、ジュリアン・ムーア、ミシェル・ウィリアムズ



「マイ青春映画」と言えば同監督作の「ベルゴ」な訳でそのヘインズ監督がまた音楽をモチーフにした映画を撮った!
しかし私、ボブ・ディランって知らない…ってか死んだ人かと思ってたら意外と若くて驚いた。そんなカンジでディランの事全く知らないで見たんだけど、知らないとかなり厳しいね!訳わかめ、なんて死語が出てくる位。しかも時系列目茶苦茶でトリッキーだから(このトリッキーさは、ベルゴをさらに鋭く知的にしたカンジ)気合いがいったね。
で、ディランを知らない人間からこの映画を見ると、人格(アイディンティティー?)と自由であることに対する映画だと感じた。そして人格に対する描写はベルゴとほぼ変わらない。人はこの人はこんな人、とラベルをつけられると本人もそれに縛られて行動してしまうけど、本当は色んな部分を持っているのに。ディランはよく知らないけど、叩かれても音楽の趣旨変更したりと「自由」であろうとする姿に引き込まれる。ただこの映画が感情移入を排除しているからディランがどんな人なのかはわからないが、わからないのが普通なんだと思う。
それにしたってヘインズ監督はベルゴといい何故この人格のテーマが好きなんだろうか…


映画ではディランの曲がずっとかかってたけど、今度じっくり聞いてみたい。
パフォーマンスがソニックユースとかイギー&ストゥージィーズとか意外な人も発見(意外じゃないのかもしれないが)


皆さん絶賛されるケイト、本人そっくりだよ…監督はなんで「その時」にあのキャスティングしたのかなーヒースもベールもわかるんだけど、ケイトはなんでなんだろー



| 映画*A | 15:38 | comments(0) | - |
冬の猿*1963仏
出演:ジャン・ギャバン/ジャン・ポール・ベルモンド/シュザンヌ・フロン
監督:アンリ・ヴェルヌイユ

大人の映画。
脚本は「リードマイリップス」の監督の父親、ミシェル・オーディアールだから見たかったけど、予想以上に良かった。
2人の境遇も年令も違う男がひととき心を通わせて、子どもの様に騒ぎつつまた元の場所へと戻って行く…とストーリー自体はシンプルだけどそのディティールや小道具がとても良い。キャスティングもこれ以上ない。
ギャバンがいいのはもちろんだけど、ベルモンドは「勝手にしやがれ」とはまた違う繊細な魅力がある。
寂れたノルマンディーの風景、最期の盛り上がり場所となる花火のシーンはモノクロだけど綺麗でフランス映画らしい品の良さと華やかさ。(2人と一緒に騒ぐ雑貨屋のおやじがいい味出してる)
フランスって恋愛映画のイメージがつきがちだけど、「列車に乗った男」とか男同士の友情がベタベタしすぎず上手く描かれていいなと思う。
逆に日本の仁侠とか(笑)男の友情映画ってちょっとベタッとしてるイメージがあるのは何でだろう。武士道、か?(笑)
| 映画*H | 15:33 | comments(0) | - |
太陽を盗んだ男*79日本
出演:沢田研二 菅原文太 池上季実子 北村和夫 神山 繁 佐藤 慶
伊藤雄之助 風間杜夫 小松方正 西田敏行 水谷 豊
監督:長谷川和彦

今見ても色褪せない、特に主人公の城戸に共感を得る人も多いのではないかと思われる。「薔薇の葬列」でもそうだったけど、これまた時代と「街」の姿がよく活かされている映画。こーゆー映画ってホントいい映画が多い。

主人公の城戸は別に国家に抵抗してやろうとかそんな大それた事を考えてた訳じゃないけど、作り手の意識かもしれないけど最終的にはそこへ流れて行く。

菅原文太演じる刑事が「あいつは人とコミュニケーションしたがってる」って言うシーンが印象的。文太演じる刑事は城戸に「こいつなら…」と見込まれる。
何を見込まれたのかは色々ありそうだけど、私は命かな、と思った。
仕事に忠実でバスジャック犯に対しても「人間」として接しようとする男と主人公は正反対。正反対だからこそ城戸は「羨ましさ、憧れ」みたいのを抱いたのかな。
実際ラストの文太vs主人公のバトルは凄かったしね(あれ、絶対笑うだろー。文太兄貴が不死身すぎて凄いよ)
あの後涙で光る主人公の目は完全に廃人。
可愛がってた猫も、ほんのちょっと心を通わせた女もこいつなら、と見込んだ兄貴も死んじゃったんだからね。でも死ぬのは恐いと言う軟弱さ。とっても人間くさい。

パワー溢れつつ哀愁あり、ユーモアありな面白い映画だったなぁ。
| 映画*T | 15:31 | comments(0) | - |
薔薇の葬列*1969日本
出演:ピーター/土屋嘉男/小笠原 修
監督:松本俊夫

新宿、六本木、原宿といった場所と1969年と言う時代がよく伺われて、そのへん興味深く見れました。
実際のゲイボーイだったピーター(当時16歳)とピーター演じるエディの境遇は似てるし、他のゲイボーイの人たちも本物らしいので虚構と現実があやふやな雰囲気はある。そこに父と息子の近親相姦と言った逆「オディプス神話」が絡められる。
白い部分が飛び過ぎたようなモノクロの画像は美しく神秘的に見える。
「鏡よ鏡、一番美しいのは誰」という文字が浮かび、鏡を覗き込む「ジュネ」のママ、レダの姿の背後からエディがぼんやりと映るシーンはお約束だけど好き。

ただ私にはあまりその「現実と虚構」が活かされてるようには思えなかったし、オディプス神話を持ち出す意味もよくわからなかった。
シュールな映像とゲイをモチーフにしてる映画と言うと、ケネス・アンガーを思い出すけど、アンガーの方が好き。(アンガー自身ゲイだしね)

16歳のピーターは作り物めいててもちろん美しいが、愛人に捨てられるレダ、及びレダを演じてる人やらインタビューに答える「当時」のゲイだった人が私には印象的だった。この人たちは今、何をしているのだろうかという意味で。
ピーター演じるエディが新しいタイプのゲイだとしたら着物を着たレダは古いタイプの(三島由紀夫とかあのあたりの年代の)ゲイだなぁと思った。
そんな古いタイプのレダが愛人に捨てられて、ウェディングドレスを着て眠るように自殺する姿はもの寂しく哀憐の情を湧かせる。

映画を見ていて、幼年期に初めて浅草で見た女装した中年男性の青いヒゲの跡を思い出した。
あの当時40代に見えたあの人はどうしてるのかと思う。
| 映画*H | 15:29 | comments(0) | - |
愛のコリーダ 2000*日仏1976
Cast:藤竜也 松田英子 中島葵  殿山泰司
Director:大島渚

Story
日本の恋愛史において最もセンセーショナルな出来事といわれた「阿部定」事件。昭和11年、東京・荒川の待合宿で料亭の主人、石田吉造が死体で発見される。当時愛人だった阿部定が指名手配されるも、数日後あっけなく都内の旅館で逮捕される。連行される際に「私がお尋ね者の阿部定です」とにっこり微笑んで手を差し出したエピソードは有名である…。人を好きになり、愛すること。そんなあたりまえの感情が、日常や社会から解き放たれて昂るとき、性愛はどのような姿を見せるのか?大島渚監督が描こうとしたのは、ごく普通の男女にも起こりえる愛の極致。国内初公開の完全ノーカット版。(シネアミューズサイトより)


100分程の映画だけど、なんと8割程延々と性行為をやっているのに驚いた。
(そしていつになったら阿部定がチョン切るのかと思いながら見る)
今の時代ではそんなでもない、って書かれてたけどポルノ映画を見た事ない私は結構そのあけすけすぎる描写に驚いた。
芸術かポルノか、と上映当時言われたらしいけどいや、これポルノだろと私は思った。っつーか製作者自体が監督に「ハードコアポルノを作ろう」ともちかけたぐらいだし。
ただこの映画が実用的(笑)なのかは自分、女なんでよくわからないが藤竜也の演技は素晴らしいと思う。そりゃこんな掴み所の無いイイ男に惚れちゃったら狂いもするよなと思う。世間では阿部定って魔性の女、と言われてるらしいが藤竜也演じる石田もそうとう魔性の男。どう見ても厄介で暴力性を帯びて行く定の行動に「お前がしたいならいいよ。」と優しく微笑む男…どつかれても首何回も絞められても包丁つきつけられても「お前がしたいならいいよ」と微笑む藤竜也の微笑み…謎すぎます。包容力ともまた違う気がするし、だからと言ってヘタレ男にも感じさせない。いや、この演技、素晴らしいし、何よりもこの映画に出たというのも凄い(女優も)
最初、行為の最中に首を絞めるとイイと提案したのは石田だったけど、石田は定の首を絞めれない「なんだかお前が可哀想で」と言う藤竜也の表情に何故か私は泣けた。(泣くシーンじゃないと思うけど)それで絞める側が女の定で、絞められる側が男の石田になる。でも映画ではその前から定→攻撃的、石田→受け身として進んでいる。割とありがちなパターンだと男がする側で女は受け身だからそのあたりの男女逆な部分がちょっと面白く感じた。(実際の調書では定はサディストで石田はマゾヒストと判断されてたみたいだけど映画を見てる限り、あまりそんな風には感じなかった)

まぁそんな感じで謎すぎる人たちだなぁと感じつつ見たのですが、画面の色使いとか雨の中2人で傘さして歩いてるシーンとかなかなか綺麗。
石田が待ち合い場(今で言うラブホテルか?)に戻る途中で軍服の兵士たちとすれ違うシーンはかなり印象的。排他的で日常、生活を感じさせないセックス三昧の石田と2・26事件など暗い時代の日本の現実の遠すぎる距離感。

私は好きな人には死んで欲しくない、痛がって欲しくないと思ってるからなんで定が石田の首締めて苦しめるのか理解はできない。ただあそこまでセックス三昧(三日三晩ぐらいぶっ続けで)やっていると「日常」に戻るのは難しいし、過剰な性愛の先には死しか見えてこない。金の工面をする定も、若い定の(ニンフォマニアだし)過剰な性欲につき合う石田も2人とも疲れていたのだと思う。だからより一層「死」へと向かったのかな、とも思う。
私には相手を殺して自分のモノにするという心理は到底理解できないけど、定と言う人はそういう考えを持った人らしいし。相手の性器を切り取って眺めたり舐めたりしつつ、映画では描かれてなかったけど、石田の猿股や身に付けていた物を着て逃避行していたという事を知ったとき、「同化」って言葉も浮かぶ。
石田と同化したかったら、生きてる石田は必要が無い訳だし…まぁ理解はできないけど…しかしここまで惚れられる石田って男は一体どんな男なのだろうと非常に興味が湧いた。

余談だけど、この主演女優さん、本番女優とレッテル貼られてすぐ引退しちゃって可哀想だ
そして助監督が崔洋一 、製作が若松孝二 (製作代表がアナトール・ドーマン)となかなか豪華ね
| 映画*A | 15:27 | comments(0) | - |
パンズ・ラビリンス *スペイン
Director:ギレルモ・デル・トロ
Cast:イバナ・バケロ、ダグ・ジョーンズ、セルジ・ロペス、アリアドナ・ヒル
2006スペイン&メキシコ&アメリカ

ファンタジーなのにグロい、と言われる本作。
ホラーや痛いの苦手だから途中途中はひーひー言いながら見てた。
この映画が巷でどう言われているのかよく分かんないけど、私は「暗殺の森」とかそういった反ファシスト映画だと思った。
ビスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」でもナチスに抵抗して捕らえらられるリベラリストが「我々が(あのときノーと言わなかったから)ナチスをのさばらせた」と言ったように、ダメなモノには「no」と言える、ただ流れに任せて従うって事はいけない事なのだなと思った。書いてて何を当たり前の事を…って感じだけど日本が戦時中どんどん深みへ入って行く時、誰もそれはいけない事だと言わなかった。と言うか言った数少ない人たちは憲兵にしょっぴかれて殺されたりした。あとの大半の人たちは勢いを増す軍事力に鼓舞されて目先の事しか見えてなかった。
自分の言葉で考えて、いけない事には「no」という姿勢をもたなきゃいけないよって事を見ていて感じられた。

主人公の少女、オフェーリアは本が好きな大人しくて従順な少女
子供だから自分ではどうにもならない現実(冷酷な継父、産気に苦しむ母親)に対処しきれず、現実か妄想かわからない牧神パンの言われるままに「試練」を受ける。
そんな彼女の姿は子供らしい従順さを感じる。
だけど最期の瞬間、彼女は「no」と自分の意志をはっきりと他人に伝える。
正しい選択をした者があっけなく殺される、これも現実。

私が見るスペイン映画には割とよくスペイン内戦の事が描かれる映画が多いけど、やはり今だにこの出来事はスペインの中で爪痕となって残ってる事なのかな。
オフェーリアみたいな戦争で惨い目にあった子供たち、沢山いたんだろうな。
そんな大人たちの勝手な諍いに巻き込まれた子どもたちすべてに捧げられた映画だと思う。

グロテスクな幻想シーンは好きだけど、その幻想的なシーンやストーリーに暗喩や深みが少ないのが残念。
ファンタジーであればもっとそういう物を出して欲しかった。
例えば子どもたちを食べる掌に目玉をつけた怪物。
あれは何を現しているのか、何の暗喩なのか。少女にとって何をさしている物なのか。ひょっとしたら私が気付いてないだけ(キリスト教の人なら知ってる怪物だとか)なのかもしれないけど、昆虫の化け物にしてもパンのあの姿の意味にしても見ていて意味合いがほとんど感じなかったのが残念。
| 映画*H | 15:15 | comments(0) | - |
ベンゴ*フランス=スペイン2000
Cast:アントニオ・カナーレス、オレステス・ビリャサン・ロドリゲス
Director:トニー・ガトリフ

Story
スペイン、アンダルシア地方。最愛の娘を亡くして間もないカコは、悲しみから立ち直れずにいた。そんなカコに唯一の安らぎを与えるのは、失踪した兄マリオの息子ディエゴ。ディエゴは体が不自由だが、フラメンコを心から愛しカコを慕っていた。しかしそんなディエゴの命はカラバカ家に狙われていた。マリオがかつてカラバカ家の長男を殺したため、その怒りがディエゴに向けられていたのだ。カコはディエゴを守るため、ある決意をする。(eiga.comより)


音楽が鳴り響くオープニングシーンから目が釘づけ。
まさに歌と踊りが「魂」となって彼等の血肉となっているのだなと実感させられる。
誰も彼もが唄い、踊っている。
唯一主人公のカコだけはパーティーを催しても踊らない。
演じているのは世界的に有名なダンサーなのだが、唄い踊らなくてもカコという男をそのまま演じている。
彼は大切な娘を亡くし、そして今は殺人を犯した兄の息子(甥ディエゴ)を全力で守ろうとしている(兄の血縁者であるディエゴが報復の第一ターゲットだから)

ディエゴは四肢に不自由を持っている青年だが、彼もジプシーの血を誰よりも強くひく青年であり、音楽と踊りをとても愛している。
不自由な身体で力一杯踊る様、殺人を犯して報復を恐れ逃亡した父親と電話で話しているシーンで「父さん、寂しいよ、早く帰って来て」と携帯電話で言うシーン、商売女とデートした後「あれは愛じゃないよ」と言うシーン。どれもが単純だからこそ真実をついていて印象的である。だから彼は周囲から愛され、カコは命を賭けて守ろうとする。


全体を通してほぼ歌と踊りだらけ。
普段歌や踊りなんてしない人間ですが、あのマグマの様に吹き出した感情表現の踊りや歌は凄いなと憧れてしまう。「生きてる」って感じがする。

一応スペインが舞台なので「フラメンコ」が多いけど、その音楽や踊りはインドを彷佛させたり中近東っぽいなと感じたり、色々なモノがミックスされている。
ロマの起原はインドであり、インドからヨーロッパ各地(スペインではヒータノ、フランスではマヌーシュ、ジタン、ドイツではシンティ、ツィゴイネル、イギリスではジプシー、イタリアではツィガーノ、東欧〜バルカンではロムと呼ばれている)へと散らばって行っただけに、色んな文化や音楽がミックスされてるのだなと思う。
主人公のカコの真っ黒なスーツにエルメス風なスカーフ、インドっぽい金の指輪ファッションがカッコいいのはやはり演じたアントニオ・カナーレスが魅力的だからだと思う。
| 映画*H | 15:14 | comments(0) | - |
地上5センチの恋心*フランス=ベルギー07



Cast:
カトリーヌ・フロ/アルベール・デュポンテル/ファブリス・ミュルジア/ジャック・ウェベール/アラン・ドゥテー
Director:エリック=エマニュエル・シュミット

Story
昼間はデパートの化粧品売場で働き、夜はレビュー用の羽飾り作りの内職をしながら二人の子どもと暮らす未亡人オデットの楽しみは、大好きなロマンス小説を読む事。憧れの人気作家バルタザール・バルザンのサイン会があると聞けば、思い切りめかし込んで駆け、ファンレターを手渡すのだった。一方、批評家に酷評され、妻には浮気されて落ち込むバルタザールは、“イチ”ファンであるオデットに救いを求めるのだった…。(goo映画より)


「女はみんな生きている」の主人公である主婦役を演じたカトリーヌ・フロ主演作って事で楽しみにしておりました。
この役は彼女以外では考えられない、と言うより彼女が映画の大部分を支えていると言って間違いないです。
ただ映画のフライヤーや前情報から予想していた物と「雰囲気」が結構違って見ていて戸惑ったのも事実。フライヤーではオサレで上品なフレンチラブコメディーな匂いを感じさせるのですが、その真逆でチープでキッチュ。
それは何度も出てくる主人公の家の内装やら家具を見れば明らかであり、ふわふわのレビューで使用される羽飾りやら安っぽい人形たち、悪趣味に見える主人公の部屋の壁に描かれた夕日に照らされた2人の男女のシルエットなどなどソフィケートとは程遠い、「安っぽい」インテリアたち。
しかしそれはこの映画の隠れたテーマでもある「階級・職業における階層」を表現するには真っ当なアプローチです。
つまり何故私が戸惑ったのかと言えば、オシャレなフレンチラブコメディーとして日本の配給会社は売っていたけど、本当はその真逆でありそういった「ソフィケート、インテリ、上品趣味」をちょっと批判してる映画でもあったから(銀座でしか上映されていないのも何か皮肉…)
それを痛烈に感じるのが、バルタザールの新作をこき下ろす批評家の言葉。
「この本(バルタザールの新作)をいいと思う人種なんて小売店のレジ係、美容師、部屋に人形を置く者、壁に夕日のシルエットの絵なんて描いてある人種だ」(うろ覚えだけどこんな感じ)と学の無い人間や、職業差別感に満ちたコメントだったりする。こんなん日本で言ったらバッシングの嵐だと思うけど…
で、前述した通り、主人公のオデットはデパートの売り子で部屋はそんな状態のいわゆる「本もロクに読んだ事のない無学で無教養な女」である。
しかし彼女は素晴らしい人生の哲学を持って生きていて、日々を楽しく過ごす術を知っている。
そんな彼女や彼女の子供達(笑わないニートな妹、優しくて明るいけど男癖の悪い美容師の兄)やら周囲の人間達とのやりとりが微笑ましく素敵。

この映画見てるとき、ベルギー映画の「マダムと奇人と殺人と」をかなり思い出したんだけど、キッチュでチープな雰囲気とか結構似てると思う。しかも同じベルギー資本だし、ベルギー映画ってなんか「ヘン」な映画が多いと思う(「変態村」とか・)

しかしこの映画、何かテンポが悪い!
随分長く感じたけど、実は100分。もっと長く感じたよー
ただのラブコメではない階級とか階層を盛り込んだのもいいと思うけど、何か散漫なんだよなー最期なんて結ばれなくてもいいんじゃないかなーっつーか私はてっきりオデットは本物の妖精かと思ってたから(笑)あのまま実は妖精でした!と言ってもいい映画だと思うし誰も突っ込まないよ。

そうそう、この映画ジョセフィン・ベイカーの歌がまるまる使われてます。
ミュージカルさながら唄って踊って、なシーンも多数。
でも↑なテンポなのでちょっと浮いてるのが残念。
凄い可愛いんだけどねー
それにしても、私最近歌と踊りがテーマな音楽によく当たるなぁ。
単に最近の映画は「音楽」の部分が強くなってきてるだけかもしれないけど。

しかしカトリーヌ・フロはキュート!
部屋着とかも可愛いんだよねーーー50歳でこんな可愛いのって凄いしあの服たちがナチュラルに似合ってしまうのも凄い。スタイルも何気にいいしな〜〜
| 映画*T | 15:12 | comments(0) | - |
娼婦と鯨*2004アルゼンチン、スペイン
Cast:レオナルド・スバラグリア /カローラ・レイナ /アイタナ・サンチェス・ギニョン/ミゲル・アンヘル・ソラ
Director:ルイス・プエンソ

Story
美しく奔放な女流作家ヴィエラは30年代のスペイン内戦で死亡した写真家エミリオの写真に映る、自分の若い頃に似ている女に興味を持つ。
その取材の為に、エミリオと女ロラの出会いの地であるブエノスアイレスへ飛ぶ。
だがヴィエラは乳ガンになっており家族もいないその地で一人きりで手術をする。
家族に対する感情、癌への恐怖、女としての自分、そんな不安や憤りを持ちつつヴィエラはロラとエミリオの物語へ没頭していく


ストーリーはエミリオとロラの過去と、ヴィエラの現在パートを交互に映す。
このパターンの話は基本的に好きなんですが、何故か余り映画に乗る事ができなかった。それというのもこの壮大なラブストーリーと2人の女の生き急いでるような生き様を見ても一体この映画で監督が言いたい事はなんだったのだろうかと私には理解する事が出来なかった。
この2人の女は自分に正直であり正直であろうと苛烈に生きている。
この辺りの力強さはまさにラテンだなぁと思う。
なのでドラマチックなストーリーでもある訳だけど、伝えたい事が私には理解できなかった。

エミリオとロラの愛の終焉は余りにも酷すぎるだろう(エミリオの裏切り行為が)と思うのだがあれでは人身売買であんな事許されるのかと腑に落ちない。
ロラは自由奔放でその奔放さは恋人のエミリオを恐れさせる。
私はこの映画が一体何を言いたいのか分からないと書いたが、唯一思い当たるのは、いつの時代になっても女にとって真の自由を得るのは難しいのだな、と思った。
いくら自由奔放で、恋人以外の男と身体を重ねても恋人に売られてしまって娼婦にならざるを得ないロラ。1930年代なのでまぁやっぱり今のように男女平等(建て前上は)精神もない時代に奔放なロラは逸脱している。
逸脱しているから皮肉な事に、愛する恋人によってまるで復讐のように「売られ」てしまい娼婦とならざるを得なくなる。そして心の狭い身勝手な恋人により再度金で「身請け」されると言うまるで人間扱いされない悲しさ、悔しさ。最期に選択した彼女の行動はあれは当然としかいいようがないし、自分を裏切った恋人への痛烈な抵抗だと思う。あのラストシーンはちょっと震えた。残酷なシーンだけどとても美しいシーンでもあるから。「例え金で売買されても私は自由なの」そんな激しい程の自由への渇望を感じるシーンだった。当時の女性の不安定な身分の無さを強く感じた。

そして一方で現代パートを担当するやはり自由奔放なヴィエラ。
彼女は夫もいて息子もいて愛人もいる。そしてロラとエミリオの行方を追うため、訪れたパタゴニアでもある男性と関係を持つ。
こうして見ていると何一つ彼女には不満は無さそうだが、ただ一人で乳ガン切除をする行動や「どんなに家族がいてもいつも一人」と言っているように強い不安感と孤独
を感じている。
映画には一度も出てこないが、夫とは余り旨くいっていないように見えるし、自分を作家として認めてくれない父親とも何かわだかまりを抱えていそうに見える。
彼女が次々と男達と関係を結んで行くのは、私には「自由」でありたいという願望に見える(だけど、私にはその行動が逆に彼女をいびつな脅迫観念に追い込んでいるようにも見えるけど)
そんなヴィエラにとってロラは自己投影できる人物だったのだろうと思う。
また何度も出てくる鯨は自由の象徴なのだと思う。

ただ話がとっ散らかってるイメージがあるので、これがテーマなのかは分からない。
悪魔で私が感じた所感でしかない。
多分私がこの映画に入り込めないのは、ヴィエラの悩みが贅沢に見え、セックスに重きを置いてる部分が馴染めないからだと思う。
まぁ人によって人生に何を重きを置くかは違うし、「自分に正直」になった行動がそういう行動なのは誰も攻めたり批判したりする資格はない訳なんですが。


ロラとエミリオが滞在していたパタゴニアのタンゴバーでもあり娼館でのシーンに時間を裂きすぎたのかなと思う。
ロラが館の人間たちに魅了されていくのがとても理解できるんだけど。
そこの持ち主である盲目のミュージシャン(アコーディオンよりもひと回り小さい楽器を弾く)が独特。そしてタンゴシーンは音楽も合わせて妖しくも美しい。
| 映画*S | 15:09 | comments(0) | - |